#4 No music, No life.

表現とは、音楽のことをさすのかもしれない。かくにしても、写真を撮るにしても、なにかを自ら発するときは、心の中でなにかしら曲(音楽)が流れたタイミングだと思うから。曲を火と呼ぶ人もいる。火が灯っているか、いないか。前者の状態で紡いだ言葉は、ストーリーや記事、詩になるが後者はただの文字の羅列になる。少なくとも私はそう感じる。このブログの音源は、朝に食べたパウンドケーキのおいしさへの感動です。だからつまり人生はNo,music No lifeなのだろうと。心震わす人に出会い、モノを知り、その都度内面に響いた音楽を、カタチにしていく。一瞬一瞬を表現と呼ぶのかもしれない。関西風でつけたすなら、まあ知らんけど。

 

#3 冬が近づいてきた

布団からスッと出られない。そんな時期へ日に日に突入していきます。わたしはものすごく寒がりです。ものすごく暑がりでもあるので、自身を哺乳類ではなく変温動物だと捉えて自愛している最近ですが、冬にも好きなところを2点見つけました。1つ目は、朝一に吸い込む、冷たい空気が気持ちいい点です。家のドアを開けて、冷たいっと顔が梅干しみたいにくしゃくしゃになると同時に、肺へ入る冷気が、背筋から頭の先までをキーンと冷やしてくれるようです。強制的にシャキッとする一瞬が、楽しみになってきました。二つ目は、綺麗に積もった真っ白な雪景色は、まるで海のように見える点です。わたしは海が好きなのです。空から降り積もる白い水面は、真っ青な海と同じく、どこまでも端が見えず雄大で、雪の女王が見たことのない海を想像で作ったみたい。陽が射すと、反射してキラキラと輝き、美しいのです。その景色を見てから寒いよりも「綺麗だ」が打ち勝ち、雪の降る冬を海が青く輝く夏のように身近に感じるようになりました。今年、東京に雪は降るのでしょうか。綺麗に積もるなら、景色を楽しみに、毎朝布団からエイヤッと飛び出ることができそうです。

#2 Sunday Morning

今朝は、早く目が覚めました。今日は午後からは現職のイベント手伝いがあるため、午前中に今週の日曜日を詰め込んでしまいたいと思います。したいことは「部屋の片付け」「湯船に浸かる」「おいしい朝ごはん」です。まず片付けに関してですが、主には洗濯と衣替えです。白い服が好きで複数持っているのですが、汚れやすいため、定期的に漂白する必要があるのです。まっ白になった柔軟剤の良い香りがする服を見ると、自分も洗濯されたような、爽やかな気持ちになるため、一石二鳥です。洗濯機が好調にグワングワンと回っている間に、冬用のコートを出します。先日、ネイルを夏の明るい赤から、べっ甲とカーキの組み合わせへ変更した帰り道、秋を迎えに行った感覚がしたのですが、同じように、コートを出せば、冬が一気に近づくような気がしています。洗濯物が仕上がる前に、急いでお風呂へ入ります。湯温は43度。草津の湯の素を雑貨屋さんで買っておきました。肩までざぶんと使った瞬間、体へじんわりと広がる熱に、ふわーっと息が漏れます。思わず天井に向かって「気持ちいいなー」とつぶやいてしまうのは毎度のことです。お風呂上がりの汚れていない手で、部屋干しを完了したら、身支度をして外へGO。朝ごはんに何を食べるか。あったかいホットコーヒーを飲むことだけは決めています。

#メモ 何故かくのかに、答えはいらなかった

正しくは、まだいらないである。ただ、何をかいていくか、については答えられそうだ。

 

自分以外について、わたしはかいていく。

何故かの答えは私の中にあるから良い。それについては書かないかわりに、もっと素敵なことをかいていく。

 

ただ、ひとつだけ言えるのは、わたしはかくことが好きなのだ。ごはんを食べるのも好きで、絵を描くのも好きで、音楽を聞くのが好きで。好きだから続けてきただけなのだ。

 

1番大切にしてきて、これからもしていくことは、シンプルな二文字でした。

 

誰かのなんで?に答えるために

即席な答えを用意するのではなく

日々の積み重ねの先に見えた予想以上のものに、将来自分が誰より驚きたい。

 

 一生の仕事に対するwhyの答えが26歳で出るわけなかった、と27歳になる前に気付けた朝です。

 

 

追記

2017/12/19

 

思い出した。

 

うまく話せないわたしだからこそ、うまく話すことができない小さな声や目線を、ためらった手の動きを拾って記事にできる! とはまだ言い切れないけれど拾える人になりたいと思ったことを。

 

目の前の人の輝きを自分ひとりだけが独占するのはもったいないと感じ、知ってもらうために記事をかきはじめた大学四年生の時のことを。

 

その結果誰かの前向きな気持ちをぐっと後押しできる人になりたいと思ったから、わたしはきっと今日も書いている。

 

記事を書くときに熱がこもるのは目の前のうまく話せないひとたちや、想いはあるけど知ってもらう方法がわからないと悩むひとたちが、自分自身の姿と重なるからだと思う。

 

表面的な伝える力より、目の前の人が持つあつい真ん中をちゃんと受けとって発信したい。

 

そのためにも、わたしには伝える力が、技術が必要だ。

 

今日の機会はその1ステップにすぎない。でも大事な、大事な逃せない1ステップなのだ。

 

深呼吸して、いってきます。

 

 

 

 

 

 

 

#1 尊敬する人

尊敬する人がいる。私の父である。月並みな表現でしか、答えられないことが悔しい。育ててくれたから、親だから。それだけの話ではないのだ。

 

まず彼はものすごく博識で、文章が上手い。出版社の編集に文書を提出した際、修正はひとつも入らず、そのまま出版された。

 

また彼は、何よりも家族を大事にする人で、無償の愛を持っている。私が小さな頃、ものすごく怒られて、泣いていると、一冊の小さなノートをくれた。そこには私のいいところが、全ページにわたり、びっしりと書いてあった。文章が上手い彼だが、言葉より何倍も、行動で示す人なのだ。

 

そんな彼の一番の魅力を書くならば、とにかく不真面目なところである。どちらかといえば天才肌で、好まないことには努力をしたことがないのだ。そんな彼からすると、愚直で真面目な私は尊敬する対象らしい。

 

父であり、師であり、親友であり、悪友でもある彼は61歳になった。200歳まで生きてくれたらと思う以上に、美しいと面白いを素直に愛す彼にとって、素敵な日々が満足するまで続いてくれたら良いな、と思う。