#メモ 何故かくのかに、答えはいらなかった
正しくは、まだいらないである。ただ、何をかいていくか、については答えられそうだ。
自分以外について、わたしはかいていく。
何故かの答えは私の中にあるから良い。それについては書かないかわりに、もっと素敵なことをかいていく。
ただ、ひとつだけ言えるのは、わたしはかくことが好きなのだ。ごはんを食べるのも好きで、絵を描くのも好きで、音楽を聞くのが好きで。好きだから続けてきただけなのだ。
1番大切にしてきて、これからもしていくことは、シンプルな二文字でした。
誰かのなんで?に答えるために
即席な答えを用意するのではなく
日々の積み重ねの先に見えた予想以上のものに、将来自分が誰より驚きたい。
一生の仕事に対するwhyの答えが26歳で出るわけなかった、と27歳になる前に気付けた朝です。
追記
2017/12/19
思い出した。
うまく話せないわたしだからこそ、うまく話すことができない小さな声や目線を、ためらった手の動きを拾って記事にできる! とはまだ言い切れないけれど拾える人になりたいと思ったことを。
目の前の人の輝きを自分ひとりだけが独占するのはもったいないと感じ、知ってもらうために記事をかきはじめた大学四年生の時のことを。
その結果誰かの前向きな気持ちをぐっと後押しできる人になりたいと思ったから、わたしはきっと今日も書いている。
記事を書くときに熱がこもるのは目の前のうまく話せないひとたちや、想いはあるけど知ってもらう方法がわからないと悩むひとたちが、自分自身の姿と重なるからだと思う。
表面的な伝える力より、目の前の人が持つあつい真ん中をちゃんと受けとって発信したい。
そのためにも、わたしには伝える力が、技術が必要だ。
今日の機会はその1ステップにすぎない。でも大事な、大事な逃せない1ステップなのだ。
深呼吸して、いってきます。